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不死鳥よ永久に… ラウダ逝く [モータースポーツ]

 1975、77、84年のF1チャンピオン、ニキ・ラウダが亡くなりました。 享年70歳でした。 76年の西ドイツGPで瀕死の重傷を負ったのちの奇跡の復活と、雨の富士での棄権。 一旦、引退した後にプロストを0.5ポイント差(シースン終了時点での計算)で下してのチャンピオン返り咲きなど、彼の偉業を讃えるエピソードには事欠きませんが、近年では ジャギュワやレッドブルでの働きぶりが意味不明だったり、息子のマティアスが限りなく凡人に近いドライバーだったり、ジョバンナ・アマティに誘惑されたり、あんなに尽くしてくれたマルレーヌ夫人と離婚した挙句に若いスッチーと再婚したり、片山右京のクソつまらないジョークのネタにされたり、『ニュルの事故で肺を痛めても生き残れたのは煙草を吸っていなかったから』と未成年の私に生涯禁煙の誓いをさせた言葉を放っておきながら 映画「Pole Position」の中でスパスパ吸っていたりと、あんまり若い人からの評判は良くなかったかな? それでも、私らの世代にとって、彼は偉大な憧れのヒーローでした。 なんせ、轟鷹也の師匠の謎の覆面レーサーになったり、写真判定じゃないと分からないほどの僅差になったモナコGPでゴールした瞬間にケン・アカバの勝利を宣言したりと、この人ならそれくらいやってくれそうと誰もが信じていたんだもん。

 思えば、「サーキットの狼」からスーパーカーブームに乗っかってた少年が熱心なモータースポーツファンになったのは、AUTO SPORTの77年12月1日号だかの彼のヘルメット姿の表紙に衝撃を受けたからにほかなりません。 彼がいなければ、今の生活もありません。 岩下レーシングの通販で「parmalat」のエンブレムを買って黒い帽子に縫い付けてかぶってました。 当時はやり出したアディダスのジャージも赤にしたもん。(沢田研二も着てたラウダジャケットは高くて買えなかった) 一度引退した後に、ヨコハマのCM(寺尾聡の”シャドーシティ”!)に出演し、そしてカムバックしてくれた時は本当に嬉しかった。

 そんな彼に一度だけ接近遭遇したのが、2001年の日本GP。 先輩に都合付けてもらったパドックパスで入った鈴鹿のピットエリア。 目の前に当時ジャギュワチーム所属のラウダがいました。

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 勇気を振り絞ってサインを貰いに行く、まだ細かったころの私。

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 流れるような仕草でペンを取り、サラサラとサインをして、またペンを戻すラウダ。 1秒たりとも、1ミリたりとも無駄な動作はありませんでした。 カリスマって、こういう事なんだなぁと実感しました。(ちなみにサインは人からの頼まれ物で、わたし用ではありません。 私は会えただけで十分)

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 現役の時好きだったドライバーが天寿を全うして去っていく。 そういう歳になりました。 ニキよ安らかに… 

 ところで、NHKの「世界ふれあい街歩き」のウィーンの回(おそらく2008年製作版)には、誰がどう見てもラウダ!って人が映っています。 赤いキャップをかぶり、シェパードを2匹連れて軽快に階段を上っていく紳士。 この間の連休中に再放送していたのを偶然目にしましたが、あー、あれはやっぱりラウダだよなぁってあらためて思ってたところです。 これも虫の知らせだったのかな。

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R26

涙・・・・
by R26 (2019-05-22 19:07) 

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