SSブログ

巨星また墜つ 今宮純が遺したもの [モータースポーツ]

 モータースポーツジャーナリストの今宮純氏が亡くなった。 享年70歳という。 F1の解説者としてよく知られる氏だが、すでに学生時代からレースレポートを専門誌に寄稿し、星野・中嶋時代の富士GCや鈴鹿F2ではピットレポーターとして活躍していた。(安藤優子にこき使われていた印象がある) 注目すべきは、その時すでに1人称によるレースリポートを確立していたことだ。 これは日本のモータージャーナリズムの歴史の中で今宮氏が初めて行ったことだ。 まあ、当時はキザな記者だなぁくらいにしか思っていなかったが。 また、’83年のGC第2戦の表彰台で、優勝した故松本恵二選手から無理矢理 佐藤文康選手(プラクティス中に事故死)へのコメントを引き出そうとしていた(ように見えた)ことが、よけいに彼への印象を悪くしていた。

 しかし、F1中継においては彼の叙情的で文学的な解説手法が、これまでモータースポーツに縁がなかった多くの人の関心を引き寄せたことも事実だ。 古館伊知郎の名実況・名台詞のいくつかは、彼からもたらされた情報の賜物である。 また、その”文学的な”解説のバックボーンには、自分の足で稼いだドライバー一人一人に関する膨大な情報があった。 さらには、現代のようなタイミングモニターが無い時代でも、どのドライバーが 今、コースのどこを走っているかをすべて把握していた。 叙情的に思われる解説の裏には膨大なデータがあったのだ。

 しかし、近年のリアルタイムにラップタイムデータが解るようなネットやスマホが発達したデータ重視の放送が主流になってくると、彼の解説が古くさく感じる人も多くあった。 チームラジオを聞き取れない英語力の乏しさも彼の評価を下げていた。 実際、私自身も 数年の海外赴任生活でSky Sportの多チャンネルデータ放送を見てきた後、久々に見た日本の中継における彼は、ただの時代遅れの”過去の遺物”のようにしか思えなかった。

 そんな彼を再評価したきっかけとなったのが、一昨年か、その前の年の鈴鹿の中継だった。 FPの時から、そのレースの本質を捉えた解説を淡々としていた。 そう、川井ちゃんが結果としての数字データの解析に秀でているように、彼は その対極にあるもの、数字に出てこないレースの流れをマクロの視点で瞬時に理解し、それをわかりやすい言葉でファンに伝えてくれたのだ。 このレースの流れを瞬時に見切る力は、彼の天賦の才だったのか、それとも膨大な聞き込みから得られた経験から来るものだったのだろうか。


 今宮氏のご冥福をお祈りします。 



(令和2年1月25日追記) 昨日の「F1GPニュース」のオープニングにはグッときた。 91年のハンガリーGPの時以来かな。 とかく、フジテレビの報道姿勢は色々と批判的なことを言われがちだが(私も批判的なんだが)、これは認める。 ありがとうフジテレビ。 伊達に30年以上F1中継やってないね。 惰性や打算ではこんなに続けられないもんね。 ことF1に関しては志ある人たちが番組を作り続けているのですね。

nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:自動車

BS1スペシャル 「最速に挑む! ホンダF1はなぜ勝てたのか」を見ました [モータースポーツ]

 正月というか、元日に放送された久々のホンダF1スペシャルを見ました。 正直な感想、”ようやくまともな人間が出てきたな”という感じ。 ちゃんと、謙虚に客観的に現実を受け入れられる真のレース屋さんや技術者だなぁと。 マネージングダイレクターの山本さんは、まだちょっと うさん臭そうな匂いが...(それは仕事柄仕方ないか) とにかく、ようやく戦える態勢になったのはわかった。 第3期からようやく修正ができましたね。 アロンソやバトンに謝ってほしいよ、ほんと。

 一方で新たな疑問というか不安が。 それはトップマネージメントの不在。 誰もトップの関与をうかがわせることを言わないのは不思議。 これが、頑張ってる現場の手柄を横取りしてはいけないと、NHKに頼んで存在を消してもらったのならいいんだけど… 今回の躍進のキーとして紹介された、航空部門や試作部門との連携なんかは、トップが一声言えば済むはず。 まあ、それがなかったから4年も5年もかかったのだけれども。

 振り返れば、第1期、第2期の挑戦は強力なトップダウンから始まりました。 もっとも、第1期は理想主義のトップと現場との確執、そして第1期を戦った人がトップに立って始まった第2期は、そのやる気はあるけど理論が古過ぎるトップと若手技術者の下克上と、なかなかうまくはいかなかったのも事実。(第2期の成功は、トップの引いた図面を無視した若手下克上の賜物)

 そして、その第2期の栄光を見てた人がトップに就いた第3期と第4期の前半は、根拠のない自信だけ持った実戦経験のない人が上に立った組織の悲劇 そのものでしたね。 まるで旧日本軍や子ブッシュ時代のネオコン、あるいは自由惑星同盟の評議会。 (実は第2期もそうだったのかも知れないけども)なんか、いつの時代もオールホンダで戦ってたわけではないんじゃないかという気が、いつもする。 これは、研究所が強すぎるホンダの組織的な宿命なのかな? まあ、やたらとトップが顔を出す某社さんとどっちがいいのやら?

nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:自動車